米屋の工場
当社において最も重要なセクションが製造部門。何より品質が第一。
伝統の味をいかに安全にご提供するかを追求しております。長い歴史の中で培われた伝統の技術と、オートメーション化された最新の技術。
二つの技術が出会うこの場所で、米屋の味と心が生み出されていきます。
米屋 第二工場のご案内
米屋第二工場では案内センターを設置して、一般の方々に羊羹・和菓子についての豆知識など、ビデオ上映と説明により紹介をしております。 お土産もご用意しております。
【現在、工場見学をお休みさせていただいております。】
新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、誠に勝手ながら当面の間 工場見学の受け入れを休止させていただきます。
今後のご見学の受け入れに関しましては、再開の見込みが立ち次第、あらためてご案内いたします。
皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご理解の程お願い申し上げます。
工場の技術革新のあゆみ
本社工場(当時)
昭和36年
羊羹生産のオートメーション化
アルミ箔紙函包装の開発により、日持ちする羊羹を一貫して生産する体制を整えました。
第二工場(当時)
昭和49年
無公害工場
水ようかん量産システム
缶入り水羊羹を量産する生産ラインを構築しました。
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昭和26年
アルミ箔紙函重点方式の開発
かつて羊羹は、羊羹舟に流し、一昼夜さましてから切り分け、一本ずつセロハンで包装されていました。
昭和26年にアルミ箔と紙を二層に密着させ袋状にした紙函に羊羹を直接充填する方式を開発しました。
翌年には、日本で初めて紙函に直接羊羹を充填する機械を完成させました。
これにより羊羹の日持ちは良くなり、今では直接羊羹を充填する方式が、羊羹の包装形態の主流となっています。 -
昭和37年
「缶入り水ようかん」の開発
昭和37年、研究開発に5年の歳月をかけ、米屋最大の技術革新と言える、缶入り水羊羹を発売しました。
発売後、味の多様化をめざし、こし飴の水ようかんに加え、白餡をベースにしたストロベリー、メロンや小倉の水羊羹を発売しました。 -
昭和41年
「缶入りプリン」の発売
昭和41年には、缶入り水ようかんの技術を応用し、「缶入りプリン」を発売しました。
「栗むし羊羹」真空包装
昭和41年、それまで消費期間が2日の栗むし羊羹を真空包装にし、日持ちを長くしました。
それまで日持ちが短いことから、成田近辺や、成田にいらしたお客様にしか味わっていただけなかった米屋の栗むし羊羹を全国のお客様にお届けできるようになりました。 -
昭和45年
ヨネパック
昭和45年、小型羊羹の元祖と言われる「ヨネパック」を開発しました。
当時の流行のミニにマキシにパンタロン、いつでも、どこでもが宣伝文句で、若い人たちを対象に販売しました。100箱に1箱、本物の四葉のクローバーを景品として挿入しました。 -
そして現在
長い歴の中で培われた伝統の技術と、オートメーション化された最新の技術。
二つの技術が出会うこの場所で、米屋の味と心が生み出されています。
商品のできるまで
ようかんの原料
小豆投入
きれいに洗われた小豆を釜に自動供給します。
小豆煮釜
小豆の風味をそのままに、やわらかく煮上げます。
製餡機
煮上がった豆は製餡機で餡と皮にわけられ、何回もさらし、あくのない良質のさらし餡が出来上がります。
寒天釜
寒天を液状に溶かします。寒天はようかんを固めるためにつかいます。
練釜
伝統の技術により時間をかけて風味・光沢のよいまろやかなようかんに練り上げます。
煉羊羹
充填機
煉り上がったようかんを、容器に一本一本自動的に定量充填します。
X線
アルミ容器商品の検査を実施。
自動包装機
ここで最終仕上げされ、初めて一本のようかんが出来上がります。
水羊羹
カップ充填機
煉り上がった水ようかんをカップ容器に定量充填します。
殺菌装置
加圧加熱殺菌により、長期保存に耐える無菌状態になります。
金属探知機
金属反応品はすべて取り除かれます。
箱詰
限定数量ずつ箱詰されます。
栗むし羊羹
蒸し釜
生餡・砂糖・小麦粉をよくまぜ1舟ごとに定量充填され、専用の釜により蒸し上げられます。
連続真空包装機
一本ずつ裁断され、真空包装されます。
殺菌機
ここで加熱殺菌し、日もちをよくします。
ケース詰
既定数量ずつ箱詰されます。
和菓子
大福
近代的な設備で衛生的に作られる大福。
どら焼
年間商品として年々出荷が増えている。
ぴーなっつ最中
人気が高い商品で、自動的なラインになっている。
焼菓子
全自動のオーブンにて焼き上げる。